令和新撰組(山本太郎新党)は平成維震軍のパクリ?維新の党への挑発でやめてとの声も!

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山本太郎議員の新党「令和新撰組」が話題となっています。

そんな令和新撰組について世間の声を調べてみると、新日本プロレスで活動していたユニット「平成維震軍」のパクリだと言われているようです。

また、山本太郎議員が新党「令和新撰組」を立ち上げた理由は、維新の党への挑発だとも言われています。

その他にも、「令和新撰組」を見た世間の反応が「やめて」という意見がおおくみられました。

ということで今回は、

・令和新撰組(山本太郎新党)は平成維震軍のパクリ?

・令和新撰組(山本太郎新党)が維新の党に挑発?

・令和新撰組(山本太郎新党)にやめてとの声!

以上について気になったのでご紹介させて頂きます。

令和新撰組(山本太郎新党)は平成維震軍のパクリ?

山本太郎が新党・令和新撰組を結成!

2019年4月9日に、山本太郎議員は「令和新撰組」という新党を立ち上げすることを表明しました!

令和新撰組は平成維震軍のパクリとの声!

山本太郎議員が立ち上げた新党「令和新撰組」は、新日本プロレスで活動していたユニット「平成維震軍」のパクリ(オマージュ)だと言われています。

平成維震軍とは?

平成維震軍とは、かつて新日本プロレスで活動していたユニットです!

1992年(平成4年)、越中詩郎、小林邦昭が当時の抗争相手であった青柳政司率いる誠心会館の自主興業に、新日本プロレス選手会の許可を得ずに参戦した事が原因で選手会と対立。

越中は選手会を脱退し、これに同調した木村健悟、さらに誠心会館の青柳、齋藤彰俊と共に反選手会同盟を結成、本隊と抗争を開始する。なお、この時の選手会長は蝶野正洋であり、越中と蝶野が犬猿の仲にあるのはこの事件が引きがねである。

1993年(平成5年)には後藤達俊、小原道由が加入して平成維震軍と改名する。名付け親になったのは、当時、雑誌『週刊ゴング』にて越中の取材を担当していた記者の金澤克彦である。“維新軍”ではなく、あえて“維震軍”と名付けたのは、「日本のプロレス界を震撼させる」という意味が込められたためである。

(引用:Wikipedia

平成維震軍のメンバーは、越中詩郎、小林邦昭、青柳政司、ザ・グレート・カブキ、木村健悟、齋藤彰俊、後藤達俊、小原道由、野上彰、天龍源一郎、テリー・ファンクと11名から結成されています。

プロレス好きでないからでも、越中詩郎さんと天龍源一郎さんは知っているのではないでしょうか?

越中詩郎さんはケンドー・コバヤシさん筆頭にアメトークで企画がありましたし、天龍源一郎さんはハスキーボイスな声が特徴でよくバラエティ番組に出演していますよね。

令和新撰組(山本太郎新党)が維新の党に挑発?

山本太郎議員が立ち上げた新党「令和新選組」は、維新の党への挑発だとネットでは言われています。

おそらく幕末時代の構図(新撰組VS維新)を連想させているのでしょうが、山本太郎議員がそこまで考えているのかは現在のところ語られていません。

もし、山本太郎議員がわかっていて「令和新撰組」と名付けたのなら完全に維新の党への挑戦状かもしれませんね。

しかし、新撰組は徳川幕府と共に壊滅していった結末は誰でも知っている歴史ですよね。

山本太郎議員の新党・令和新選組は、わざわざ維新の会に負けるフラグを立てていますねw

ネットの反応!

令和新選組(山本太郎新党)にやめてとの声!

山本太郎議員が立ち上げた新党「令和新選組」に、世間の声は「やめて」との声がおおく見られました!

まとめ

山本太郎議員が立ち上げた新党「令和新選組」についてご紹介させて頂きました。

新党を立ち上げることに関しては、行動力があっていい事だと個人的には思うのですが、、、

山本太郎議員が新選組と名乗るのは俳優の時だけにしてほしかった。。。

政治家としての山本太郎議員は、破天荒すぎてちょっとついていけませんものね。

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